広島高等裁判所 昭和41年(く)16号 決定 1966年11月14日
少年 D・T(昭二四・二・三生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告申立の趣意は記録編綴の抗告申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一件記録によると、原審裁判所は右少年につき中国地方更生保護委員会からの戻し収容申請を受けたけれども、できることならその決定をすることなく、少年をして仮退院のまま社会の中で更生させる最後の機会を与えようと考え、試験観察に付し、家庭裁判所調査官においてもその善導に腐心したにもかかわらず、少年はこれに答えようとせず、生活は次第に乱れ、病弱という条件もあることではあるが、労働意欲を失つて遊びながら母親に小遣銭を強要したり、いわゆるやくざと接触し、あるいは左小指を詰めるようなことも生ずるに至つたものであり、そこで、原審裁判所もやむなく前記決定をなしたことが認められるから右決定は相当であるというほかない。少年は種々弁解するところがあるが、要するに、自からに誠意と努力が足りないところがあつたものであり、他人にその責任を負わせるわけにゆかない。原決定には手続の上にも何等違法の廉はない。論旨はすべて理由がない。
よつて主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 高橋英明 裁判官 福地寿三 裁判官 竹村寿)
参考
原審決定(広島家裁呉支部 昭四一(少ハ)四号 昭四一・九・二二決定 報告五号)
主文
少年を満二〇歳に達するまで医療少年院に戻して収容することができる。
理由
本件申請の要旨は「少年は昭和三八年五月一三日当裁判所において医療少年院送致決定を受け、新光学院に収容されたが、昭和四〇年一一月二二日同少年院を仮退院した者であるところ、遵守すべき事項を遵守せず、戻し収容する以外に矯正を図る方法がないので本件申請をする」というのにある。その申請の理由は中国地方更生保護委員会作成の戻し収容申請書添付の別紙(二)記載のとおりであるから、これを引用する。
当裁判所は昭和四一年五月七日審判をし、申請どおり少年の遵守事項違反事実を確定した上かかる違反に立ち到つた理由は少年自身医療少年院に送致されたのは母親のせいだと自ら決めつけてやや自暴自棄になつていたこと、身体が弱いため適当な職場がなかつたことなどがあつたことが窺え、少年自身今度こそは更生する意欲を示したので、少年を試験観察に付した。
ところで、試験観察の経過をみると、当初の二ヶ月余は少年の自覚と更生の意欲(月三回以上当庁に出頭し、昭和四一年五月九日には○田工業株式会社に玉かけ工として就業した〔尤も後記の病気のためもあつて約一〇日間にすぎなかつたが〕その後も適当な職場を探すなど可成り積極的なことなど)が窺えたが、病気の昂進(結核その病状は臥床して約一年化学療法を継続する必要がある。昭和四一年九月二一日付鑑別結果通知書参照)から働く意欲を失い、次第にその生活振りは乱れて、ヤクザと接近し、その間母親に金銭を強要するなどし、同月九日には義理を果せなかつたため左小指を詰めるに至つたことが窺え、以上の諸点から、少年を施設に戻し収容して規律ある生活を送らせ、医療措置を受けさせて少年を矯正する以外にない。
よつて、犯罪者予防更生法第四三条第一項を適用して主文の決定をする。
(裁判官 一之瀬健)